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ハワイの歴史を学ぼう!島の誕生から現代までを年表とともに解説

ハワイの歴史を学ぼう

日本人に大人気の常夏の楽園、ハワイ。美しい海や山の自然を求め、世界中から多くの人々がハワイを訪れます。

今や世界有数の観光地となったハワイですが、皆さんはそんなハワイの歴史をご存じですか?

ハワイが好きでも、意外とハワイの成り立ちやハワイ王朝時代の話などをよく知らないという方も多いのではないでしょうか。

今回は、さらにハワイへの理解を深めるために、ハワイ諸島の誕生から現代までを年表にしその歴史を解説していきます!

ハワイのことをもっと深く知りたい!という方はぜひチェックしてみてください。

CONTENTS

ハワイは火山活動でできた島

火山のマグマ

500〜600万年前:カウアイ島が海上に姿を現す
50~60万年前:ハワイ島が誕生

ハワイ諸島は火山噴火の溶岩が堆積して形成された島々で、132の島で構成されています。ハワイの主な8つの島の中で、最も北側にあるカウアイ島が海上に姿を現したのが、今からおよそ500〜600万年前のこと。

その後、1年間に6〜9㎝ずつ移動するプレートの動きによって、ニイハウ、オアフ、モロカイ、ラナイ、カホラヴェと次々に島が誕生しました。最も新しいハワイ島の誕生は、50〜60万年ほど前。

ハワイ諸島へポリネシア人が移住

移民の到来

500〜700年:マルケサス(マルキーズ)諸島からポリネシア人が移住
1200年:タヒチから集団が移住

こうしてできたハワイ諸島はずっと無人島でしたが、西暦500〜600年頃にマルケサス諸島周辺からポリネシア人が渡ってきました。はじめてハワイに足を踏み入れたのが彼らであると言われています。

彼らがなぜ遠くからハワイ諸島へ渡ってきたのか、その理由は謎のまま。

西暦700年頃になるとハワイとタヒチの間で盛んに交流が行われ、1200年頃にはタヒチから集団が移住。彼らは古代ハワイにおける信仰の基礎となる神や半神半人の思想を持ち込み、厳格な社会階層を導入したと考えられています。

カプ(Kapu)と言われる社会を取り締まる掟が導入されたのもこの頃のよう。

その後数世紀にわたりハワイ文化は繁栄し、フラダンスやサーフィンなどのスポーツが生まれました。

編集長

タヒチアンダンスとフラダンスが非常によく似ている理由も、こんな歴史があったからなんですね。

キャプテンクックがハワイに上陸

キャプテン・クックの羅針盤

1778年:キャプテン・クック(英国)がハワイを発見
1779年:キャプテン・クックがハワイ島で殺される
1786年:フランス人、ラ・パルースがマウイ島沖に到着
1790年:カパニワイの戦い(マウイ島)
1793年:キャプテン・バンクーバー(英国)がマウイ島ラハイナに到着

1778年、キャプテン・クックがカウアイ島ワイメア湾に上陸。サンドイッチ伯爵の名にちなんで、ハワイ諸島を「サンドイッチ諸島」と名付けました。

大陸やほかの島々から遠く離れており閉ざされていたハワイですが、クック船長によって西欧人にその存在が知られることに。西欧人の貿易船が来航する地として着目されるようになります。

西洋との扉を開いたクック船長はというと、上陸からわずか1年後、不運にもハワイ島のケアラケクア湾で殺害されてしまいました。

ハワイ王朝(1795 – 1893)

ホノルルダウンタウンにあるカメハメハ大王像

18世紀末から19世紀にかけて、多くのキリスト教の宣教師たちがハワイに渡り、その影響でハワイの伝統文化が抑圧されるようになります。彼らはハワイの文化や習慣を否定的に捉えたため、フラダンスやサーフィンなどの文化も衰退の危機に直面しました。

カメハメハ1世の時代

1795年:カメハメハ1世がオアフ島を制圧しハワイ全土を統一、建国宣言する
1804年:ロシア人が初めてハワイに上陸
1809年:宮中をワイキキからホノルルハーバーへ移す
1810年:白檀(びゃくだん;サンダルウッド)の輸出が始まる

クック船長がハワイ諸島を発見したことをきっかけに、多くの西洋人がハワイに渡ってくるようになると、ハワイに住む人々にもその戦術や武器の知恵が広まります。

そんな知恵を得たノース・コハラ生まれのカメハメハ1世は、1791年にハワイ島の敵対勢力を統一。さらにハワイ諸島全域を1810年に統一して1つの王国とし、ハワイ王国が誕生しました。

カメハメハ2世の時代

1819年:カメハメハ1世がハワイ島コナで死去、リホリホ王(カメハメハ2世)が即位
1819年:300年続いたカプ制度が廃止
1819年:クアモオでの戦い
1820年:首都がマウイ島ラハイナに移る
1820年:宣教師がハワイに上陸
1824年:リホリホとカママルがロンドンで麻疹により病死

1819年、カメハメハ1世の死去でリホリホが2世に即位。厳しい戒律を含むカプによる統治が続いてきましたが、リホリホ(カメハメハ2世)は、即位後すぐにカプを廃止します。

1820年、最初のプロテスタント宣教師がアメリカ東海岸のボストンからハワイ島に上陸。後に宣教師は、ホノルルに施設を建てて布教活動を展開し、ハワイの人々の価値観を新たなものにしました。

首都がマウイ島のラハイナ港に移り、貿易業を中心に栄えたハワイですが、経済発展に伴い西洋から入ってきた病気のせいでハワイ先住民の多くの命が失われていました。

カメハメハ3世の時代

1825年:カウケアオウリ王(カメハメハ3世)が即位
1830年:パニオロ(カウボーイ)が登場
1831年:初の高等学校ラハイナルナが開校
1832年:カメハメハ一世の王妃の一人、カアフマヌが死去
1840年:憲法制定(Constitution of 1840)
1845年:首都がラハイナからホノルルに移る
1846年:捕鯨活動がピークに
1848年:グレート・マヘレ(土地配分法)を制定
1852年:憲法改正(Constitution of 1852)

カメハメハ2世が英国で客死し、カウイケアオウリが3世に即位。首都をマウイ島ラハイナからオアフ島ホノルルへ遷都しました。

カメハメハ4世の時代

1854年:アレキサンダー・リホリホ(カメハメハ4世)が即位
1864年:憲法改正(Constitution of 1864)

1854年、カメハメハ1世の孫アレグサンダー・リホリホが4世に即位。

カメハメハ5世の時代

1863年:ロット・カプアイワが即位
1866年:ハンセン病患者をモロカイ島カラウパパへ隔離

4世の弟、ロットが5世に即位し新憲法を発布しました。このころから日本人移民もハワイにやってきます。

ルナリロ王の時代

1873年:ルナリロ王が議会で選出され即位

カメハメハ5世に妻子がいなかったため、議会選挙でルナリロが6代国王に即位。しかし、1年後に亡くなってしまいます。

カラカウア王の時代

1874年:カラカウアが即位
1886年:チャイナタウンで大火事が発生

改めて議会選挙で選ばれたのがカラカウア7代国王。新憲法を改正し、戴冠式でフラを復活させました。

一方、この頃から議会で西欧人の力が強くなっていったと言われています。

編集長

ワイキキのメイン通り「カラカウア・アベニュー」はカラカウア王の名前にちなんで付けられたんですね。

リリウオカラニ女王の時代


1891年:リリウオカラニ女王が即位
1893年:リリウオカラニ女王が幽閉される
1893年:立憲君主制が崩壊、ハワイ暫定政府成立

兄であるカラカウアの後を継いで8代目の女王になったのがリリウオカラニ。リリウオカラニが女王として国を治めていた2年間は激動の時代でした。

経済の中心となっていた西欧人とハワイアンの人々との対立は激化。1893年、リリウオカラニは新憲法を発布しようしましたが、一部の大臣の同意を得られず退位を迫られます。

また、女王の邸宅の庭から武器が発見され、リリウオカラニは反逆罪の罪で逮捕。イオラニ宮殿に8ヶ月間、幽閉されてしまいました。

編集長

ハワイの有名な曲「アロハ オエ(Aloha’Oe)」は、リリウオカラニがイオラニ宮殿に幽閉されていたときに作ったものだと言われています。

暫定政府(1893 – 1894)

1893年:リリウウオカラニ女王が退位されられ、暫定政府が樹立

1893年、ハワイ経済をほぼ支配していた米国からの入植者が、ハワイ王国支持者であるハワイアンと対立しながらも、王国を平和的なクーデターで転覆。ハワイ王国は崩壊しました。

共和国時代(1894 – 1898)

1894年:ハワイ共和国を宣言

アメリカ領時代(1898 – 1959)

アメリカとハワイの国旗

アメリカ合衆国の一部に

1898年:アメリカ合衆国がハワイを併合
1900年:正式にアメリカの領土となる
1901年:モアナサーフライダーホテルが完成
1903年:朝鮮半島からの移民が到着
1906年:フィリピンからの移民が到着
1911年:ハワイ火山観測所が設立される
1912年:デューク・カハナモクがストックホルム・オリンピックで金メダル
1916年:ハワイ島キラウエア、マウイ島ハレアカラ周辺が国立公園に
1917年:リリウオカラニ女王死去
1935年:ハワイ島マウナ・ロアが噴火

ハワイがアメリカに併合され、この頃から観光地としての開発が始まりました。モアナサーフライダーホテルが開業したのもこの頃。

1921年からアラワイ運河の建造が始まり、その土砂でワイキキの湿地帯が埋め立てられました。ロイヤル・ハワイアンホテルも建設が始まり、その後観光向けに次々とホテルが建設されます。

また、20世紀になるとパイナップルやサトウキビ栽培のために、日本人、中国人、フィリピン人、ポルトガル人などの移民が押し寄せます。さまざまな国から移民がやってきたため、ハワイの今日の人口構成は非常に多様なものに。

ハワイ・デューク・カハナモク

ちなみに、この頃ハワイ出身の伝説の水泳選手でサーファーの「デューク・カハナモク」(1890 – 1968年)が大活躍。オリンピック金メダルを3個獲得し、サーフィンの普及に多大な貢献をしました。

ワイキキビーチの目の前に像がありますよね。

第二次世界大戦(~1945)

パールハーバーメモリアル

1941年:日本軍がパール・ハーバーを奇襲

1941年12月8日、日本軍がオアフ島の真珠湾に停泊していた米艦隊を攻撃。これにより、太平洋戦争が始まりました。80年以上経った今でも、その爪痕が深く残るパール・ハーバー。悲しい歴史があったことも忘れてはいけません。

ハワイ州(1959 – 現在)

ハワイ州

ハワイ州が成立

1959年:8月21日ハワイがアメリカ合衆国50番目の州に
1959年:キラウエア・イキ・クレーターから噴火
1960年:キラウエア火山のカポオから噴火
1961年:ハレアカラ国立公園とプウホヌア・オ・ホナウナウ国立歴史公園を設立
1962年:ドン・ホーがデビュー
1970年:第1回メリー・モナーク・フェスティバルが開催
1973年:第1回ホノルルマラソンが開催
1983年:キラウエアのプウオオ火山が噴火

1559年、ハワイがアメリカ合衆国50番目の州に。

観光化がさらに進み、この頃からジェット旅客機も就航。日本をはじめ各地からの観光客が増え始め現在に至ります。

最後に

今回は、ハワイ諸島の誕生から現代までの歴史を年表形式でご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?

意外に知られていない過去の出来事もあったかもしれませんね。筆者自身もこの記事を書きながら、新しい発見や気づきを得て、多くのことを考えさせられました。

現在、ハワイは世界有数の観光地として多くの人々を惹きつけていますが、その輝かしいイメージの裏には、悲しい過去も存在しています。ハワイアンカルチャーに触れる際には、今回紹介した歴史を少し心に留めていただければ幸いです。

また、ハワイの歴史に興味をお持ちの方には、ホノルル美術館もおすすめです。ワイキキからは少し距離がありますが、歴史を感じながらアートを楽しめる場所なのでぜひ訪れてみてください。

※ 記載内容については正確であるよう最善を尽くしておりますが、正確性および安全性を保証するものではありません。情報が古くなっている場合もございます。万一、掲載内容に誤りを発見された際には、当方までご連絡いただけますと幸いです。

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